画像 125
「心の拠り所」=「支えてくれるもの、頼みとするところ」を意味します。
「心の拠り所」を持っている人というのは、どんな時でもぶれずに自分を持っているように感じさせるものです。


心が折れるのを防いでくれる
毎日の生活のなかで、ときには悩んだり、疲れてひと休みしたくなることも、あって当然です。でも、誰かに心の内すべてを、話して相談するというのは、年齢が上がるごとに難しくなるものです。折れそうな心を支えてほしい、そんなときに大きな味方になってくれるのが「心の拠り所」です。

安心感を与えてくれる
「何があっても帰る場所がある」という確固たる思いがあると、人は強いです。「心の拠り所」とは、そんな、頼りにすべき対象でもあります。

そして、「心の拠り所」にしているものを思い浮かべるだけで、なんとなく安心感を得ることができます。その安心感は次につながる力を、きっとくれるはずです。

生きがいになる
「心の拠り所」というのは、何かあった時に、心を支えてくれるものであると同時に、慰めや癒し、気力を生み励みとなるもの、生きがいとなるものでもあります。

毎日をただやるべきことだけやって、淡々と過ごすのではなく、少しの時間でも「これが私の生きがい」と思えるようなことに時間を使うことができれば、充実度が上がり、毎日を輝かせることができるでしょう。


photo2005_7[1]
言葉は意味を伝えるだけでなく、心を伝えるものです。
温かい言葉は人の心を和ませま、冷たい言葉は人を傷つけてしまいます。多弁である必要はなく、黙っていても気持ちが通じることだってあるのです。


でも、せっかく、家族や地域・社会あって、生活出来るのだから、温かい言葉を交わしたいものです。いま、生きていられることに、感謝を言葉にして表すことが大切だと思います。

「オアシス」で・・・
「おはようございます」・「ありがとうございます」・「失礼します」・「すみません」自分の意思を示すことが、よりよいコミニケーション基本だと思います。


そして、人との縁を大切に、まわりの人を大切に、感謝の気もちを大切に、心を大切に・・・・するために、言葉を大切に・・・温かい言葉は、相手の心を和ませるとともに、自分の心をやさしい気もちにしてくれます。

人と自分の心を幸せにする言葉を交わせたら、とても幸せでしょう。そのためには、まず自分から、人の心を幸せにする言葉を使うことでしょう。

その前に、自分の心を幸せにする・・・「嬉しい」・「楽しい」・「良かった」・「幸せ」・・・言葉遣い(心がける)だと思います。人を幸せにする言動は、幸せな心から生まれるのだと思います。

画像 200
人間の心は本来清らかなものなのです。ではなぜ、人間は悪いことをしてしまうのでしょうか? 本来の心が清浄ならば、悪いことはできないはずです。そう思われるのも当然でしょう。しかし、人間には欲があります。 その欲が悪いことをする原因なのです。 

「自性清浄心(じしょうしょうじょうしん)」という言葉があります。自性とは「先天的に備わっている」という意味です。つまり、私たちの心は本来清らかで澄みきっているのだと考えるのです。

私たちは既に「清浄心」を有していますが、その宝石のように澄んだ心は、欲望や迷いに取り囲まれていて見えていないのです。原石のガレキを剥離して磨きぬいた奥底に宝石が発見されるように、心の中に渦巻く欲望や悩みを取り払えば、「自性清浄心」に気付くことができるのです。

このような心を研磨する作業こそ仏道修行であり、その修行法とは、先ずは自身の罪業を懺悔することです。自分が知らず知らずのうちに犯した罪の存在を認めて、至心に懺悔できる人こそ、清らかな心を磨き出すことができるのです。

生きるために欲望は必要です。悩み苦しみ欲望を満たすことも、人生の醍醐味であります。しかし、それは真実の安楽ではないのです。欲望を無くすことは不可能ですが、欲望を満たし続けていると更に悩みの坩堝に嵌ります。正しく欲望をコントロールして、清浄心にまとわりつく煩悩に打ち勝つという勇猛心をもって生きたいものです。
続きを読む

↑このページのトップヘ